犬の殺処分――。
いやな言葉である。
なくなるに越したことはない。
だが、「ゼロ」という数字を看板に掲げて資金を得るために、ただ生かされているだけだとしたら。
そんな団体が、名立たる日本人大リーガーやロックバンドを広告塔に伸しているとしたら……。
戦争で無辜の民が命を奪われるのはいたたまれないが、多くの人にとって“家族”でもある犬が、無益な殺生の対象になるとしたら、やはり、いたたまれないと感じる人が多いだろう。
昨今、ネット上にかわいい犬の動画があふれ、それが連日、バラエティ番組などで紹介され、視聴者はほっこりしている。
だが、その一方で、いまも猫をふくめて年間10万頭近くが全国で殺処分の対象になっていると聞かされれば、なんとかして救えないか、と思うのが人情というものだ。
そこに犬の救世主のごとく現れたのが「ピースワンコ・ジャパン」だった。
災害時などに人道支援をするNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」(以下、PW)が、東日本大震災後に始めたものだ。
その後、PWの所在地が広島県神石高原町に置かれたのには理由がある。
地元の記者の説明によれば、 「人口1万人未満の神石高原町が町おこしにNPOを誘致したのが始まりで、折しも広島県の犬猫の殺処分数は、2011年度が8340頭、12年度が7350頭と全国ワースト。
ピースワンコは13年秋、県内の犬の殺処分をゼロにする“1000日計画”を始め、昨年3月末、今後は殺処分対象の犬を全頭引きとると宣言し、殺処分ゼロが実現できたと発表したのです」
■資金をふるさと納税で
この“快挙”を朝日新聞を筆頭にメディアが称賛すると、著名人の支援も集まった。人気バンドのSEKAI NO OWARIが昨年7月、CDやライブの収益を寄付すると発表し、10月には支援ソング「Hey Ho」を発売。11月27日には、ドジャースの前田健太投手も神石高原町で行われたPWのイベントに参加し、来季、1勝ごとに一定額を寄付すると宣言し、「みなさんも僕が1勝したら寄付をお願いします」と、呼びかけたのである。
また、日本テレビ系「天才!志村どうぶつ園」も11月5日から新コーナー「捨て犬ゼロ部」をスタートさせ、タレントのぺこ&りゅうちぇるがピースワンコの活動を紹介することに。
だが、そもそも「全頭引きとり」が可能なほど資金が潤沢になったのは、
「資金をふるさと納税で賄うようにしたからです」
と先の記者は語る。
「14年9月、神石高原町がPWへの支援をふるさと納税の対象にすると、町への寄付金額が80倍超に。おかげでピースワンコは施設を拡充し、より多くの犬を引きとれるようになった」
犬がかわいそう、と思う納税者の琴線に触れたのだろう。すでに8億円ほどが“納税”されたという。
ともあれ、めでたし――と思いきや、今年3月15日付で、PWの大西健丞代表理事とピースワンコの責任者の大西純子氏宛てに、東京と神奈川の30を超える動物愛護や福祉関係の団体から、公開質問状が出されていたのだ。そこには、
〈貴団体のように大規模な保護譲渡活動を行う影響力の強い団体が、保護犬に不妊去勢手術を行わず譲渡を行っている現状は、私たちが長年かけて培ってきた不妊去勢手術の普及を覆すものになるのではと、強い危機感を感じております〉
〈昨年4月1日〜12月末までに自然死・病死以外の「麻酔薬の注射による安楽死処分数」が犬については52頭上がっていることから、既に殺処分が再開されていた事が判明しております。(中略)貴団体HPでは「広島の犬の殺処分ゼロ○○○日間継続中!」と広報を行い、昨年12月3日の朝日新聞では、「皆さんのご支援がなければ殺処分ゼロが途切れてしまいます。」と大々的にふるさと納税やご寄付を募っていました〉
などと強い調子で書かれている。どういうことか。
そこで広島県動物愛護センターのデータを確認すると、昨年も4月以降、52頭の犬が殺処分された旨が明記されている。ピースワンコは実際、昨年12月3日付の朝日新聞に〈あなたのご支援がなければ、「殺処分ゼロ」が途切れてしまい〉と、ふるさと納税を募る全3段のカラー広告を掲載し、HPでは〈広島の犬の殺処分ゼロ402日間継続中!〉(5月7日現在)と謳うが、「殺処分ゼロ」はとうに途切れていたのである。
■不妊去勢手術を行わず
これでは、殺処分ゼロを更新すべくふるさと納税を募っている以上、“税金どろぼう”のそしりは免れないが、公開質問状の「不妊去勢手術を行わず」云々のほうはどうなのだろう。
呆れ顔で説くのは、アニマルレスキューシステム基金の山崎ひろ代表である。
「私は15年11月まで福島などで被災動物の病院をやっていましたが、13年に“不妊・去勢手術をしていない保護団体がある”と耳にしましてね。まさかと思って、そのピースワンコに問い合わせると、平然と“してません”と答えるじゃないですか。広島県は受胎調整の後進県で、地域によってはコンビニの前に野犬が10匹以上もたむろしていたりする。適正な数に調整するには、一定の安楽死は致し方ありません。“かわいそう”でも適正な頭数にコントロールするのが、犬と共存する人間の責任。ましてや保護した犬の不妊・去勢手術もしないのは、偽善と言われても仕方ない」
ちなみに、くだんの質問状へのPWの回答によれば、3月27日現在、ピースワンコの施設が収容する犬は1166頭。不妊・去勢手術を施したのは27頭で、施設内で生まれた子犬も150頭いるという。試みに、広島県内でも活動するNPO法人「エンジェルズ」の林俊彦代表に方針を聞くと、
「うちは月齢6カ月を超えた子犬はすべて不妊・去勢手術を施し、譲渡するのも原則、手術が終わった犬です。日本の犬の頭数は15歳未満の人口より多いという。無駄な命を減らす方法は不妊・去勢手術しかありません。実は処分される犬の8割はオス。犬は人間の100万倍の嗅覚があるといい、オスは何キロも離れたメスの生理の臭いに理性を狂わされ、脱走してしまうのです。去勢していれば、そうした事態も避けられます」
それが特殊でないことには、東京都調布市のくるみ動物病院の武藤幸子院長も、
「私が知るかぎり、ピースワンコ以外に、不妊・去勢手術を行っていない愛護団体はありません」
と断言するのだ。
■「生かされとるだけや」
では、常識外のピースワンコの施設で、犬たちはどう暮らしているのか。ピースワンコでのインターンを経験した女性に聞いてみた。
「驚いたのは妊娠した犬がいたことです。不妊・去勢手術はせず、発情期のメスを8畳ほどの“ヒート(発情)部屋”に集めることで避妊していましたが、オスは同じ敷地内で隔離しても臭いで全部わかる。交尾したいのにできないのは、オスには非常にストレスになるし、イライラして人に噛みつくこともあります。犬を不妊・去勢せずに集団飼育するのは、犬の精神状態にとても悪いはずです」
ほかにも気になったことがあったという。
「犬の頭数に対してスタッフが少なすぎる。私が出入りした第1シェルターは100頭ほど、第3シェルターには400頭ほどいましたが、それぞれスタッフは5、6人。特に第3は人手不足で、スタッフさんと同じく朝8時から夜8時まで働いても、犬舎の掃除とエサやりでやっと。エサも2、3頭ずつまとめてやるしかないのでケンカも起きます。ドッグランで走らせる余裕なんてない。チーフの方が“これでは人間に生かされとるだけや”と呟いたのが印象的でした。ピースワンコではリードも使いませんが、そのせいでケンカして死んでしまった犬もいると聞きました。人間の独りよがりに、犬が犠牲になっていると感じましたね」
なにやら、高い平均寿命の陰で、もう起き上がることも喋ることもできない人が、尊厳が損なわれたままベッドに括りつけられている日本の医療現場が思い起こされる話ではないか。
実は、広島県動物愛護センターも、本音は同じ認識であるらしく、昨年12月に県内のボランティア団体を集めた会議で「P団体」の名を挙げ、「殺処分対象の全頭引取り→根本的な解決にはなっておらず、当センターにとっては殺処分と同じ」と発表していた。
(下)へつづく