昨日の朝、「ハムスターは預かってもらえますか?」とペットホテルのお問い合わせメールをいただいた(写真はイメージです)。1歳の男子、ケージも持ち込んでくださって10泊の依頼だった。うわぁ、めっちゃ可愛いやろなぁ・・・預かりたいなぁ・・・。実はハムスターにはつらい思い出がある。 小学6年生の冬休み、ドッグフードを買いに行った近所のペットショップで売られていたハムスターがもう可愛くて可愛くて、しかもその子がお年玉で買えるくらいの値段だった。ちょうどお年玉をもらったばかり。買えるやん。買えるやん。一旦家に戻りお年玉を握りしめすぐにお店に戻る。 そして親に相談することもなく買うという、小学生としてはどうなんだろう、それはあかんやろぉ、という行動に出た。ケージなども全部買い揃えて連れて帰る。いきなり名前をハムちゃん(ありがちやなぁ、ベタやなぁ、でも覚えてる)に決めて、連れて帰ったのはたぶんだけどほぼ夜だったと思う。親が家にいなかったから。 ぼくはいわゆる鍵っ子というやつだった。親父は飲み歩くのが日課、母親は当時夜のお仕事。晩御飯は近所の寿司屋でツケで食ったりしてた。小学生が一人で。ほんと生意気だ。とにかくハムちゃんを連れて帰り、自分の部屋(部屋と言っても当時流行っていたアコーディオンカーテンで仕切っただけの和室だったけど)で机の横にゲージをセットしてハムちゃんを入れた。 中には、これもお店で買ったくるくる回るやつ、なんていうのかな、ハムちゃんが入ってカラカラカラって遊べるように、それもセットした。ご飯も入れた。たしかひまわりの種だった。なんだか、ほんとよく覚えてるな。長期記憶はすごい。昨日のご飯は思い出せないのに。ああ悲しい。 我が家は犬も飼っていたが、当時はほとんどどこの家もそうだったように外飼いだった。だからなおさら家の中で一緒にいれるハムちゃんがもう可愛くて可愛くて、ケージから出して抱いてみたり、くるくる回るそれに入れてみたり。初めての癒し体験というところだろうか。とにかく嬉しかった。 そして次の日、親にバレる。当然だけど。でも叱られた記憶はない。そのまま僕の部屋で飼うことになった。冬休みだったから一日中ハムちゃんと遊んでいた。今考えると、ペットを家族のように思うようになったのはこれが始まりだったかもしれない。そんな感覚だった。 そしてハムちゃんが来て3日目。朝起きてすぐハムちゃんのケージを覗いた僕は、横たわったまま動かないハムちゃんの姿を見つける。え?なんで?え?え?すぐにゲージを開けてハムちゃんを抱きかかえたが、もう既に冷たく硬かった。なんで?なんで?昨日の晩までカラカラ遊んでたやん。ご飯も美味しそうに食べてたやん。なんで?なんで? 家族になってからたったの3日でハムちゃんは逝った。ハムちゃんを抱いたまま泣いた泣いた。一人っ子で鍵っ子だったぼくにとって、家の中で一緒に遊んで同じ部屋で寝れるハムちゃんは、まさに兄弟ができたようなものだった。だからとにかく泣いた。悲しすぎた。 その日のうちだったかそこはハッキリ覚えていないが、家の裏にあった空き地に埋めて石を立ててお墓にした。でもそこから今度は自分を責めた。僕が買わなかったら、ハムちゃんはまだ元気にしてたかもしれない。何があかんかったんやろ。ご飯をあげすぎたのかな。遊びすぎて疲れたのかな。 悲しくて悲しくて、つらくてつらくて、今思うと小学生ながら自分でそこまでよくしてたもんだと思うが、そのことがトラウマになり小動物を買うのが今でも怖い。これもペットロスなんだろうなぁ。もう40年以上経つのに、未だ強烈につらい思い出として胸に残っている。 ということで、ハムスターのペットホテルお預かりは丁重にお断りしました。会えなくて残念だけど。 どやさ。↓]]>