皆さん本当に嬉しそうにされていて、ご家族でその子を囲みニコニコ満面の笑みで話しをされる。これも犬(ペット)の持つ力のひとつだろう。そのご家族の笑顔を見れば見るほど、この子がいつか必ず迎える最期の時の事を考えてしまうのも、毎年(この頃はほぼ毎月かも)別れを迎えられたご家族とお話をする機会もあるこの仕事の性だろう。 この人たちはその悲しみに耐えられるのだろうか。乗り越えていくのにどれほどの時間を要するのだろう。その悲しみの深さをご存知なのだろうか。老婆心ながら、それを考えずにはいられないのだ。自分でも嫌になる。そんなことを考え出すと犬との生活を始めることなんてできなくなる。せめて今はそんなこと考えるのはやめよう、いつもそうなる。 以前「あの事件で思うこと」でも書いたが、たとえ家族間であっても価値観は微妙に違う。これから始まる愛犬との生活でご家族が何を幸せと感じるか。その思いにも温度差がある。間違いのないことはただ一つ。犬たちにとっての幸せは、いつも飼い主さんと一緒にいれること。これに尽きる。 飼い主さんが出かけた後のお留守番時、犬たちが家の中でどんな様子で過ごしているかを隠しカメラで撮影した動画を見たことがある。平然と見える子もいる。ソワソワして落ち着かない子もいる。ここぞとばかりに悪戯を始める子もいる。でもみんなが共通している点は、ドアの方で少しでも物音がした時の反応だ。 サークルの中にいる子はじっと聞き耳を立ててドアの方を凝視し尻尾を振り始める。フリーでお留守番をしている子は一目散にドアの方へ駆け寄る。悪戯をしていた子だけは、飼い主さんの顔を見た途端、耳を寝かし尻尾も遠慮気味の振り方に変わり、恐縮モードに入る子が多いところには笑ってしまうがそれも愛嬌があってたまらない。 とにかくみんな、飼い主さんの帰宅が待ち遠しくて仕方がないのだ。犬たちにとって飼い主さんと一緒に過ごす時間は、こちらが思っている以上に幸福感、安心感でいっぱいなのだ。たとえ叱られても、飼い主によっては叩かれている子もいるのに、それでも一緒にいたい。犬というのはそういう愛を持っている。 そして愛犬は私たち飼い主の数倍のスピードで年老いていきあっという間に老後を迎える。1日のほとんどを寝て過ごすようになり、体のあちらこちらに加齢による何かしらの問題が出始める。定期的な病院通いも始まり、必要に迫られて投薬も始まる。 ところがこの時になっても、飼い主は愛犬との別れをまだ現実として捉えようとしない。深層心理でその悲しみや苦しみを避けているのかもしれないが、たしかに覚悟していたはずの別れ。そのカウントダウンがハッキリと聞こえてきているこの時点でも、その現実から目をそらそうとする。まるで自分の愛犬だけは死なないと自分に言い聞かせるかのように。 この老後の時間こそ、一緒にいる時間をできるだけ長くしたい。可能な限り一緒に出かける。もうボールを追いかけることができないかもしれないが、休みの日は公園で1日一緒に過ごすのもいい。走れなくても、もしかしたらもう歩けなくてもたとえカートに乗ったままでも、飼い主さんと過ごすその時間は犬にとって幸福感でいっぱいなのはずっと変わらない。 新たに出会った犬との生活を始める時、特に子供達や愛する人がとびきりの笑顔で新しい家族を迎える時。その時こそ、すでにそのカウントダウンが始まったのだという覚悟を家族で共有したい。いずれやってくるその現実から目をそらさずに、その覚悟を持ち続けることこそが、愛犬との生活を悔いのない素晴らしい生活にしてくれる。 その覚悟があってこそ、本当の幸せ家族になれるように思う。 どやさ。似顔絵バナークリックで幸せ家族拡散。↓]]>