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016   一昨日、お客さんの愛犬ガムラン(ゴールデンレトリバー男の子)の訃報が届きました。訃報、この1年でもう何回聞いただろう。もう数えられないよ。でもこればかりは何度聞いてふも慣れません。「最期は自宅で家族全員揃って見送ることができました…」と聞いたときは、思わずまた泣けてしまいました。悲しいけどよかった。 夜、先生(奥です)に「大型犬で13歳なら大往生やでなぁ」というと、「さくらももう11歳やで…」と言われてハッとしたんです。そういえばガムランもつい1年前まではすこぶる元気にしてた。急に歩きづらそうになって、送迎の車にも一人で乗れなくなって、めっきり歳を感じさせるようになったのはこの半年ほど前からでした。 急にきます。目が白くなるのもそうです。なんだか目が白くなってきたなぁと思ったのもつかの間、急激に真っ白になって見えなくなってるとか、耳が聞こえなくなるのも、足腰が弱るのも、本当に驚くほど急激に進みます。当然かもしれません、人間の5倍のスピードで老いていくんですから。 そして先生に「ほんま、さくらが死んだ時の店長(ぼくのこと)の方がが心配」と言われました。あ、言いおった。それ言うたら妄想が止まらなくなるのに。3年前のしーちゃんの時でもあんな大変だったのに。まぁそれは先生だってそうだったのだけども。果たしてどうなるのだろう。 前にも偉そうに、近い将来必ずやってくる愛犬の死を現実的に考えられない飼い主さんのことを書きましたが、よく考えたら自分がその代表選手のようなもので。さくらが、いやいや風花だって雪子だって、うわー、先生もか、うわー。とにかく家族が死ぬなんて考えられない。 皆さんよりは愛犬の死の現場を、間違いなくたくさん見ているのにです。第三者としてだと冷静に語ることはできるというのにです。これは由々しき問題だ。しーちゃんの時に心の準備ができていなかったのは、発病から3日で逝ったから、早すぎたからだと思っていたのに。どうやら違う。その考え方に問題があるようです。 人は経験しないと学習できないと言いますが、喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言いますものね。しーちゃんの時に本当に悲しくてつらくて苦しい思いをして、もうあんな後悔はしない。残ったこいつらが逝く時は笑って送ってやれるようにしよう。そのためにこいつらに精一杯の愛情を注ごう。そう誓いました。 さて。できてるのか。甚だ疑問であります。皆さんはどうでしょうか。残りあと何年かは神のみぞ知るのでしょうが、そのカウントダウンがいよいよ大きく聞こえてきたのは紛れもない事実のようです。この後に及んで「のようです」とか。ほら、これがダメなんだなぁ。紛れもない事実です。 どれだけ愛情を注ごうと、きっと後悔はするのでしょうが、最期の時まで満面の笑顔のまま天寿を全うできるように。とにかく今日一日、無事に楽しく過ごせるように。お父ちゃんはがんばる。どやさ。 最後に下の似顔絵バナーポチ頂くと歓喜します!↓]]>