←まずはポチッと。 狭いながらも楽しい我が家と言いますが、うちなんてまさにそうです。寝るとき布団を敷く。布団で一緒に寝たい犬たちが群がる。こっちが横になれないから私たちに「どけー」と怒られ渋々出る。でも少しでもそばにいたいから、隙間に挟まるように寝る。部屋がぎゅうぎゅう、まるでテトリスみたいにピッタリ収まる。 というのが毎晩繰り広げられます。でもこれが楽しいというか、幸せを感じます。きっとこいつらもそう。犬たちは何が嬉しいって、家族みんなで一緒に過ごせる時間。それ以上のことはありませんから。大きな家で、自分専用の部屋があったって、独りぽっちなら嬉しくとも何ともありません。僻みじゃないです。念のため。 大抵の子供は子供部屋を欲しがりますが、そもそも子供部屋なんてろくなもんじゃない。目が届かない。コミュニケーションが減る。核家族化の象徴ですよ。親父が晩酌しながらプロ野球中継をギャーギャー言って見ているリビングのテーブルで、勉強してた子を知ってますけど、国立大学入ってるもの。 ま、別に国立大学に入ったから人生の成功者だってわけじゃないし、学歴第一主義なんてクソ食らえです。これも僻みじゃないですから。少なくともそれだけの努力ができるってことは素晴らしいし、賞賛に値すると思います。すごいことです。でもそのご家族も本当に仲が良くて、楽しそうなご家族です。 貧しいながらも楽しい我が家。ボロ家ながらも楽しい我が家。犬だらけで毛だらけながらも楽しい我が家。忙しくて洗えなくて臭いながらも楽しい我が家。風呂が狭すぎながらも楽しい我が家。未だにウォシュレットが付いていないながらも楽しい我が家。なんか、自虐的になってきた。 でも幸せの価値なんて、人それぞれですから。我が家はとにかく楽しけりゃそれでいいのです。子供がいないながらも楽しい我が家、というのもありだし、独り暮らしながらも楽しい我が家もありだし、とにかく楽しけりゃいいじゃないのと、思います。あくまでも個人的見解ですけど。 お金だって楽しいことになら惜しみなく使う。明日死ぬかもわからないんだから、お金も少しでも楽しいことに使わなきゃ損です。いくら貯金したって死んでからあちらの世界で使えるわけじゃなし。逆に遺産を遺したりした日には、遺産相続で身内親戚、泥沼の憎悪劇の始まりにすぎなかったり。 この国の法律では借金だって死んだら消せます。遺産がなくて借金しかなければ、身内は相続放棄したらいいだけですから。その場合は親戚全員が一斉に相続を放棄する必要があるそうですが。別に死ななくても、借金を返せない場合は自己破産以外に方策はあるものです。お困りでしたらいつでもご相談ください。ちがうか。 なんだか話の方向がおかしなことになってきた。バブル世代親父の戯言はこの辺で。どやさ。戯言を最後まで読んだついでに下の似顔バナーもポチっとお願いします。↓]]>