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 ←まずはポチッと。   11131792_873248379408943_6436131192112974290_o (1)_Fotor2   毎朝恒例、ブログネタ探しのあれこれをしていて、見つけてしまいました。拙著「愛犬と『幸せ家族』になる方法」の最初に書いた「プロローグ」。まだ編集担当の方と会う前に何もわからず我流で書いたもの、つまり当然のようにボツになった原稿です。 PHPの根本編集長に、これはちょっと……と言われた”ボツの理由”を今でもハッキリ覚えています。「大阪色が強すぎる、話が濃すぎる」。わははは。困った。大阪人のバカ親父はこれから先一体どうやってこの本を書いていったらいいんだろうと、いきなり壁にぶち当たった瞬間でした。 改めて今朝読んでみたのですけど、確かに濃いや。いきなりプロローグでこれを読まされたら普通の人は引くかも。バカ親父と先生(奥)がどうやって出会い、どうやってこの仕事を始めていったかをつぶさに暴露しています。何を考えているのでしょう。 でもブログなら問題ないんじゃない?ということで、そのまま載せます。そこそこ長く、3,000文字ほどありますが、暇なときにでもご覧いただけると幸いです。以下。ボツになったプロローグ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー

「そんなにしたかったんやったら、お店したらええやん」

「そらしたいけど・・そんなんやり方もわからへんしお金もないし・・」

「いやいやいや、開店資金は借りたらええねん、自己資金なんぼあるん?」

という、なんだかナニワ金融道みたいな会話からドッグサロンfucaの歴史は始まりました。ちなみに奥は12年前のこの日、まだ奥ではありません。

私たちはそれぞれが紆余曲折の人生を経てから40歳で出会いました。当時バツイチの奥はまだ学生の子供を2人抱え生活のために某生命保険会社のセールスレディ。その時点で勤続11年でしたから大したものです。ご存知かと思いますが、生命保険のセールスレディの仕事はなかなか続くものではありません。なかなかのど根性レディです。

そして当時バツ2の私は事業に失敗し一文無しのフリーター。それでも保険くらいは入っておかないとと、友人が紹介してくれたのが奥でした。そんな昭和枯れすすきのような二人が出会ったのも縁というのでしょうか。貧しさにぃ負けたぁ~、いえ世間にぃ負けたぁ~。ほんとにそんな空気だったなぁ。

場末の安い居酒屋でいい歳した中年二人。デートなんて洒落たものじゃなくチビチビと酒を酌み交わしながら話した会話が文頭のそれです。

奥はその時こそ生保レディでしたが、高校卒業と同時にトリマーの専門学校へ行き、早く一人前になりたいと1年で学校をやめてトリミングのお店に就職。現場でメキメキと腕を上げ社会人2年目にはお店を任されるほどまでになっていた優秀なトリマー女子でした。

ところがよくある話。若さゆえの恋愛から勢いで結婚、そして出産。当時のご主人が焼き鳥屋をやるというので、子育てと両立しながら一緒に働き始めなぜか某有名焼き鳥チェーン店の女将さんに。だから今でも焼き鳥の串挿しはプロ級なのですよ。これ本当。どうでもいいか。そしてトリマーとしていつか自分のお店を持ちたいという夢は、現実の生活の中で自然と消えていったといいます。

その後25歳で離婚。二人の子供を引き取り子育て。生活と子育てのため働いて働いて、日々の生活を必死に生きる。そんな状態です。そこで知り合った人生をこけまくった負け犬フリーター親父。酒場で夢を聞きました。「いつか自分のお店を持ちたいと思っててん。でも叶わへんかったなぁ」。

これに反応したのがこのフリーター親父です。当時一文無しの私。ところが、若い頃からほぼ商売しかしたことのなかった私は、借金の方法だけはやけに詳しかったのです。

夢があったと語りながら、実はまだ夢を捨てきれていない奥。何よりトリマーとしての技術がある。できるやん。なんでせえへんの。できるで。ほんまにやりたいの?と聞くと奥の目の色が変わりました。

「やりたい!」

その会話が2003年の12月。そして翌2004年7月にお店はオープンしました。たった半年で夢は現実になったのです。今だから言える笑い話ですが、当時奥は、まさか私が本当にそこまで一文無しだとは思っていなかったみたい。

少しくらいは持っていて出してくれるのだろうと考えていたそうです。わはは。甘い。当時の僕は鼻血も出ないくらいのスッカラカン。出せるのは口だけでした。

お店はオープンしました。スタッフは私と奥の二人。ところが私はペット関連の仕事なんてしたことがありません。それも立案から半年でオープンさせたものですから、ひたすらお店の運営準備に追われ、犬のことを勉強することもほとんどできず、ほぼぶっつけ本番でお客様をお迎えするという事態になってしまったのです。

さらに、想定外の事態が起きます。オープン初日、グランドオープンの新聞チラシを入れていたおかげでそこそこのご予約が入りました。念のためオープンから3日間ほどは、奥のトリマー時代の友人にヘルプをお願いしていましたが、これを頼んでいなかったらどうなっていたことか。

想定外だったのは奥のブランクです。25歳でトリマーをやめてから約20年。そのブランクは奥自身の想像をも超えていました。忘れもしません。オープン初日の夜「私やっぱりでけへんかもしれへん・・・」自信をなくして泣いていました。

と言いながら、女性の火事場の馬鹿力はすごいもので。一週間も経つころにはすっかり勘を取り戻し、自信も復活します。さて、あとは私です。

今はもうしていませんが、当時は完全予約制で子犬の販売をしていました。当然、子犬のことや躾のことでお客様から質問が浴びせられるわけです。

「知りません」「わかりません」とは言えません。店長ですから。必死に勉強しました。警察犬の訓練士の先生を紹介してもらっていろいろ教えてもらったり、あらゆる犬の本を買ってきて読み漁りました。

ところが、現場で接する犬たちに、本に書いてあることを実践しても全然効かない。またこっちの本とあっちの本で書いてあることが正反対。警察犬の訓練士の先生のスパルタ式がどうも性格的に合わなかったり。

他にもいろいろな疑問が湧いてきます。1年365日、毎日たくさんの犬たちがやってくるのです。生活環境も性格もバラバラ。うまくいかなくて当然かもしれません。

奥が1年でトリマーの学校をやめて現場で修行した結果メキメキと腕を上げた。現場ほど腕を磨ける場所はないはず。ここで勝負しないとまた負け犬に戻る。奥と2人、お店のトリミング室に寝泊まりしました。

お風呂はドッグバス。タンスは衣装ケース。食卓も衣装ケース。ベッドは折りたたみの簡易なものをトリミング室に敷き、ペットホテルの犬たちと一緒に寝ます。24時間犬まみれの生活が始まりました。

半年ほどその生活を続けたでしょうか。するとえらいもので、犬たちのことが手に取るようにわかってきました。毎日が犬の群れの中ですから。

これはこの仕事でないと経験できません。お金がないからお店で寝泊まりしていたのもありますが、その環境がハマりました。私はすぐその気になるのが悪い癖です。

トレーナーの資格も持っていないくせに、無料のトレーニング教室も始めました。ところが、これがまたハマりました。人に教えるというのは本当に勉強になります。考えるより動く。そのうちトレーナーの教室まで始めちゃったりして。

おかげさまで、今ではトリマー養成、トレーナー養成のスクールも始めてもう6年。弊店で学ばれて独立されたお店も2桁を超えました。現場ほど素晴らしい学校はない。それを実践し続けています。

ほぼ素人の私たちがお店を始めてから11年が経ちました。その中で学んだ現場でこそわかった犬たちの生態。トレーニングの大会に出れるような専門的なしつけ本ではありません。

強烈な個性溢れるしつけ本でもないかも知れません。ただ、家庭の中で群れとして一緒に生活し、共に幸せになっていく。そのための方法は掴んだつもりです。

そして数あるしつけ本を読破してきて感じたこと。それは、面白い本がない。面白いというのはつまり笑いの有無です。特に私がそうなのですが、やはり本は面白くないと飽きてしまいます。ただのノウハウ本は最後まで読み進めることが苦痛になるんです。

そこで、この本はエッセー風にしています。少しふざけたりしながら、でもしつけのことやお役立ち情報をちゃんと書いてある。そんな本を目指しました。私はただのドッグサロンのオーナーです。ただ現場という最高の学びの舞台で11年かけて掴んだノウハウを余すことなく書いてみるつもりです。

最後までお読みいただけましたら、そして何より、この本を読んでいただいた皆さまが、犬たちと最高に幸せな時間を共有していただけましたら、これに勝る喜びはありません。

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以上、プライベート暴露プロローグでした。ああ恥ずかしい。どやさ。

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